銀のエトコリア

2017-03-29

読者に育てられる書き手

event_note3月 29, 2017 editBy Kyrie forumNo comments


お話を書いてはいますが、もともと私は「読み手」なのです。


自分のお話を書いていると読む時間がなくなり、他の方のお話を読んでいると自分の話を書く時間がなくなる。
というジレンマも抱えながら、バランスを取って読んだり書いたりします。

両方ないと、今はつらいです。



今日も今日とて、まだ読んでいない素敵な作品を探し、読んでいました。
面白かったので、同じ作者さんの別の作品も読んでみようかと思い、作品一覧を見ましたが、ちょっとしかありませんでした。
しかし、様子がおかしい。
ムーンさんの「活動報告」はたくさん書かれています。

遡って読んでみると、誤字脱字言葉の誤用について指摘され、一時はすべての作品を下ろされていたようです。
(削除以外に下すことできるの?
下書きに戻せるの?
私もできることなら幾つか下ろしたいんだけど)


ここで、いろいろ考えるわけです。
私も読み手ですから、たまに「イラっとする誤字脱字など」にぶち当たることもあります。
それもいい感じになっている場面だと、「いやーーーーん!ここでそれぇぇぇぇぇっ?!」と叫ぶ!

でも、基本、指摘はしません。
そんなのするより、あたしは先に読み進めたいんだよ!

なので、書き手として指摘してくださるのはすごくエネルギーを使わせることで申し訳ないなぁ、ありがたいなぁ、と思います。

おまけにそれを訂正すると、そっとそのコメントを削除して「なにもありませんでしたよ」としてくださる方もいらして、「ああ、本当にありがとうございます」という気持ちでいっぱいです。



気をつけてはいますが、これは私のいけないところでもあるのでここで告白しますと、私は飽きっぽいたちで「同じことを何回もする」のがとても苦手です。
なので自分のお話を何度も何度も読み直すのが、だんだん苦痛になっていきます。

誤字脱字他のこともありますが、主なところは「お話がスムーズに流れているか」をチェックすることが多いです。

ここのいい加減さが、自分の作品のクオリティーを下げている原因の一つだということも知っています。
気迫が足りないのも、こういうあまあまな心構えのせいだと考えています。



改めればいいのに、しない理由。

それは自分の中で「遊び」だからです。
楽しさを追及していきたい。

あまりにもひどすぎると反省しますが、そこそこでいいや、と割り切っています。
ええ、「ダメな大人の見本」ですね。



さて、話を元に戻して。
まぁ、その今回ぶち当たったお話の「いろいろ指摘があった箇所」というのがなかなか数も多く、「あぁ、それは萎えるかも…」とも正直思いました。
しかし、それをコメント欄にも活動報告にも「これでもか!」っていうほどオープンに指摘し、言い募るのか。
それとも、そっとお知らせしたり、あるいは「確認しましょうか?」と申し出るなど、いろいろ方法はあると思うんですよね。

結局、新作もその方は下げたようです。




「ああ、書き手は読者に育てられるんだな」とまたもや思いました。

これまで、いただいた感想やレビュー、あるいはTwitterでの拡散・感想などを読んで、どれだけ自分の中で「よし、次も書こう!」という力になったかわかりません。

書き手同士の「あるある」もパワーを得られますが、「このお話を読んでもらえている」という実感が持てるのはこういった反応です。

辛口批評、どころか重箱の隅をつつく、ような指摘も、他の方の作品で読んだことがありますが、幸い、私のまわりの読者さんはとても穏やかなのか、大人なのか、私を包んでそっと背中を押してくれます。



まだこんなふうに書き始めて日が浅いものですから、よくわからないのですが、「ある程度量を書く」ことで「お話づくりが上手くなる」のではないか、と感じます。
なので、書き続けられるように勇気づけられること、支えてもらえることは、とても深いかかわりをしている気がします。


ミスを指摘し、自分の思うような展開にならなかったら書き手に言い募る。
それはちっとも嬉しくないし、心もペンも折る行為かもしれません。
何かが折れたら、その人はお話を発表しなくなるか、あるいは書かなくなるかもしれません。

そうなったら、どうするんでしょうね?




世の中、自分の思い通りになることはそんなに多くありません。

思い通りにならないからといって、誰かを責めたり、ペナルティーを科すのもどうかと思います。


書き手のことに限って言えば、「あなたが書けばいい」。

私がお話を書いている最大の理由は「自分が読みたいものがないから書く」です。
自分のために書いています。
「読者おいてけぼりじゃん!」と言われたら、ホントにそうで、ごめんなさいなのですが、そこが最大の原動力です。


書き手に言い募り、思い通りの展開にしたいのならば、自分が書けばいい。
「書けない」と言うのなら、練習して書いてみればいい。

「無理!」とまだ言うのなら、「こっちだって無理なことがあるんだ」ということを受け入れてほしい。



そんなことをこのたび目にした作品と、春コミのあとのトラブルについてTwitterで流れてきたものを読んで思いました。




***

今回の記事についてはいろいろ思うところがあると思いますが、意見を戦わせる気はありません。

「私がこう思った」ということを書いてみました。

もし、なにか思うことがあったら、140字のとらわれない「自分の場所」で意見を書くのがいいんじゃないか、と思います。

まとまった意見を言うには、140字では少なすぎる。

そのために、私の場合は「ブログ」という場所を作りました。




***

また素敵な作品に出会えますように。

読み手としては、「書き手の方が心が折れる。ペンを折る」ことがとてもとてもつらいのです。



そして、私の作品を読んだり、支えてくださる方々に感謝しています。
いつもありがとう。









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